部屋とYシャツと自殺と私

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今回は自分と自殺の関係を書いてみようかなと思います。

そう、かつての私はーとってもセンシティブな人間だった・・・(遠い目)
マジな話結構シリアスに自殺のことを考えている人間だったと思います。

子供の頃のことを書くと自分はガキンチョの頃から不思議なものやら怖い話が好きなタイプで、そういうテレビがあるってなったらちゃんと先にお風呂に入って正座で視聴するといういい子でした。あ、ドリフやジャッキーチェンの映画がある日もそんな感じでしたね〜。
見た後は怖くて夜中にトイレに行けなくなるのは当然のことでしたが怖い話や不思議な話はどうしても僕を引き付けて離さなかった。

ほんとオカルト的なものも信じやすかったですね、怖がりのくせに。
コックリさんなんかは同級生がやっているのを見ても「あれはマズイ・・・」と独特の嗅覚で避けていましたがw客観的に見るとほんと変な奴でした。
別に霊感なんかは全然ないんですけどね、お化けが日常的に見えるなんて夏目友人帳的なことは全くありませんでしたし。憧れてはいましたが。

そんな不思議大好きっ子でしたのでテレパシーなんかも自分はいずれ使えると思っていました。友達やら家族やらに念を送ったりしてしゃべらなくても意思を伝えられるはずだと考えて日々トレーニングしてましたよ。
時々頭の中に浮かんだ歌を歌っていたらすれ違う人がちょうど同じ歌を鼻歌で歌ってたことなんかがあったりしたんで「ほらやっぱり」てな感じで自分にはそういう能力があるんだと信じきっていましたね。
今考えると完全に偶然なんでしょうけどね〜

ただやっぱりいずれ気づくわけです、自分にそんな能力なんてないということに。
これはショックでした。毎日ヘトヘトになるまで他人に念を送っても全然伝わらない。うそ〜〜んて。
自分にはテレパシー能力がないんだということを認めるのはかなり辛かったです。このショックは自分に超能力がないというのと他者と完全に理解しあう手段がないということの2つの意味でのショックだったのです。

テレパシー能力がないということは他人の考えていることがわからない!!じゃあ感情なんか表現しづらいものを他者に100%の純度で伝達する手段がないやん!!なんでやねん!!完全にスタンドアローンですやん!!なんじゃこのシステムは!!完全に詰んでますやん!!ってなことを思い深い絶望感に襲われたのです。
深い深い絶望でした、ただただ深かった。

それは9歳の冬のことでした。学校の片隅の木のベンチで。
日付までは覚えていませんがこの日のことは忘れないでおこうとその時に思いましたのでその日のこと、9歳の冬のある日のことは今でも憶えています。

そしてこの絶望感はその後の僕の人生にも暗い影を落としました。その絶望感はずっと心の片隅に居座り続けました。
自分の考えやら感情なんかが心に浮かぶのですがどうも全てに絶望が紐付いているような感覚。嬉しいことがあっても以前のように純粋に喜ぶことができませんでした。

そうして僕は自殺を考えるようになりました。

 

 

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